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作曲家 綿引浩太郎のブログ

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長時間睡眠により回復

やはり人間には休息と睡眠が必要なのだなあと実感。

疲労や睡眠不足でおかしくなりかけた昨日の昼過ぎ、やはり睡眠時間が不足しすぎると精神が不安定になるのを久々に実感した。自らが自らでない言葉を語ったり 人間とはおかしなものである(いや不思議なものというべきか)。
夕刻には心洗われるような美しい音色、情熱的な音楽に目を覚ましてもらい覚醒したわけだが、今日は睡眠をしっかりとることで回復。今週は本気で作曲しなくては…。
今書いている曲は 来週月曜日が締切と考えるべきだろうと思っている。
こんなに充実した日々をおくらせていただいて感謝の心を忘れないようにしなくては。
今週も一週間頑張ってみますかね。来週はスケジュールがうまってるし 今週のうちに作曲をしっかりやり遂げて 12月後半戦もベストを尽くさなくては(笑)。
最近は何とはなしに 「心身をベストコンディションに維持する」、とにかくそれだけだなって気がします。
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世は事もなし…

一見 世間話をしているだけだったのに、勉強不足、生きる世界の違いを痛感させられた昨夜、勉強をいっそう精進せねばと思う。
朝5時過ぎに目覚めて 静かな感覚に陥って何を想うのか、それこそ無心の境地に至れればいいのだが…。

日はまた昇る―あの橋を渡るとき

今朝は久々にハウンドドックを聞きたい気分で(笑)。
まったく俺はいくつなんだかなあ(苦笑)、詩がいいしカッコいいのは確かなのですが サバを読んでる年齢が10歳じゃきかない気がしてならない(汗)。

さて 小田和正聞きながらゆっくりいこうかな、今日明日と一泊二日の電車の旅へ行ってきます。旅ってか出張で録音仕事。機材の記憶メモリ領域増設したし 予備電池も買ったしばっちり…のはず。

TELL ME WHY!!なんか 聞いて きっと全て間に合うはずさ、なんて詩が胸に響くわけで。遅刻癖をどうにかしないとなあ…。瞬間移動可能にならないものだろうか…まあできても 航空会社 鉄道会社 輸送会社が こぞって開発防止するだろうし 法整備されて自由化しないんだろうけど。まあ そもそも そんな技術完成するのかのほうが問題か。

始動する研究活動

今週は 火曜、水曜の2日間に 大学院に入って以来9ヶ月間探し求めていた内容が書かれた実際の本とまたその近辺領域の資料へと近づく方法、勉強と研究方法への手がかりなどを得ることができた。やっと道が開けてきた感じである…本当に良かった、やり方さえ分かれば あとは俺の努力次第でなんとでもなるはずではあるのだから。
不思議なことに、聴講でとった音楽芸術特論の講師(フランス語専門?)や 映画理論の講師(映像専門?)から知識を与えていただいたり資料を教えていただいたり借していただいたりして、世の中の巡り合わせというものは本当に分からない。
聴講の授業(もしくは本領域外の活動)に限って 思わぬ学問、知識、思想、人との出会いがあったりする気がする(笑)。

まあ とにかく読まなくてはいけない資料の量が予想の1000倍ぐらい上を行っていて、更に洋書も多いため 割かなくてはならない労力の量をだいたいですら予測できない…本当にこれは凄い時間を要しそうで…気を抜いたらできるのか不安にすらなりそうだ、気をつけなくては(苦笑)。頭をフル回転して365日かかって読みこんで研究し どれだけ自らの求める問いと答えに近づけるのか…。
この作業は限りなく自らとの対話にもなり孤独な戦いに陥りそうで恐いが(笑)、まあなんとかなるものだし、できる限りをやるだけのこと。
幸いとして話をさせていただける周りの人々や専門家達もいるのだから。
苦労するとかそういった事を抜きにして別視点に立ってみれば「知る喜び、勉強する喜びに溢れ 満たされた時間を過ごすことができそうでワクワクさえしてくる♪」というものである(笑)。


さて ここでもどこでも問題は やはり時間(苦笑)。時間と上手く生き、時間を守れるようにならないとな…どこかで色々な人に甘えたり言い訳して、結果として自分を甘やかしていることに変わりないものなあ。
小学生の時から部活遅刻してたものなあ…、中学でも高校でも直らず…。
次の予定が間近でも何かに集中しては時間を忘れたり、翌日を考えず前夜何かに熱中して夜更かししてしまったり、そろそろオトナにならなくてはならないのだが…(汗)。
まあ大抵が いちどきに処理しきれないほど同時に物事を抱え込み過ぎているのが問題なのだが、師曰く「全部こなせるぐらいでなくては世の中わたっていけないものだよ」とのこと、そのとおりだと、私もある面では思う。やはり頑張るほかないか~(苦笑)。

アレンジ仕事一件完了

今朝 アレンジ仕事を一件完遂。ポップス曲をフルートとピアノのデュオにアレンジ。約1日で仕事を終えられたし及第点ってとこだろう。なかなか美しく仕上がり、コラールの勉強の成果を自分で実感し 恩師へ心から感謝したく思った。

今日は小説と譜面を購入。譜面はシュトラウスの英雄の生涯、レスピーギのローマの松、の二冊。聞いて分析して勉強しなくては。

昼にラーメン分を回復、やはり心身の鼓舞には花月のニンニクみそ味しかあるまい。

自らを維持するのが難しい…

現実がいつの間にか壊れていたらしい。
風邪を引いた俺が悪いし、現実に処理能力が追いつかない自分の能力不足を責める他あるまい。

つい授業後に弱気になり「みんなに置いていかれている気がしてならないな…」と口走ったら、「だって まず学校に来てないじゃん?」と同期生から言われ 周りからも呆れた嘲笑をうけて、奈落に突き落とされたような感覚に陥った。それこそ自分で墓穴を掘ったようなものだ。

作曲もやっているし 依頼もこなしている 遊びすぎたりサボったりしていないし懸命にやっているつもりだ…でも 周りの人には分からないだろうし 端から見るとサボっているようにしか見えないのが現実なのだろう。懸命にやっているつもり、ではダメなのだろう。
誰から見ても頑張っている真面目な人間として生きる…そんな非現実的で難しいことはない。やれないことはないが そんなことは時間の無駄だと 今の私は思っている。
ただ授業に出て単位をとって卒業して何が残るというんだ…ただ授業をこなすだけの真面目学生をしていたらプラスαを求めるのが周りであり、プラスαに精を出して積極的に活動すれば 授業サボって作曲やら仕事してそれってどうなんだだのとケチをつける、結局ふりまわされるだけで周りの視線や受け取り方は何の意味も持たない…。
誰に対してもへらへらして凡々とするよりも、認められたい師から 自らの努力を認めてもらったり、認められたい相手がいて 嘘偽りない自分でいられることのほうがよっぽど大事だと思いたい。そして何よりも まず自らに正直でなくてはならないだろう。

まあ 何でもソツなくこなして余裕を見せる気概が大人には必要なんだろう…。そう思うと 俺が上に書いた内容は 見方によれば 独り善がりでなんて幼稚な考え方なのだろう…。

やはり もっと変わらなくてはならない。何が大切なのか、今 何をしなくてはならないのか、一瞬一瞬を真剣に生きなくては…。
でも 時として 真面目に固くなりすぎて頑張って疲れ果てた先に 何も待っていないこともあるのだから、執拗に真剣になりすぎるのも これまた経験の浅さや 若い幼稚な精神の現れなのだろうか…。

でも 今は とにかくやれる限りやるしかない。

遠回りでいいじゃないか、近道じゃ見えないことも見えるかもしれないし、自分の速度で歩かないと誰の人生だか分からなくなってしまうというものだろ。

こんな自分に甘い事を言っていてはダメだろうか…

太陽が眩しい…

今日の午前中データの受け渡しを終えて、とりあえず一件の仕事を完了。
昨日は三時間睡眠6時起きの状態で午前中は神奈川でレッスンを受け、午後いっぱいを使って全力で音声編集の仕事、夜は午前中の課題の復習。
今朝も早く動き出しデータの受け渡しへ、その後も気を抜かず 大学に残り課題と向き合って既に昼過ぎ。
昨日からなんだかんだで既に8時間ほど電車に乗ったのだが、それ以外の時間はひっきりなしに課題やら作業やらをこなして…このまま今日は深夜までバイト…。まあ日曜日は休みだし、って演奏会聞きにいくんだったなあ。1日ひたすら睡眠だけの回復日作れたらいいのだが…。

データを渡した先方に「少し休んだ方がいいですよ」なんて言われて 「やっぱりヤバいですかね(笑)」なんて笑って話したが確かに睡眠やら休息が必要かも。日々3時間睡眠じゃあまずいか…スケジュールなんとかするか。

深夜の思索…

睡眠時間の圧縮や保存、分割ができたらいいのだが…、そんなに追い詰められるほどの現実の方が人間的な生活じゃなくておかしいのではないか?とたまに疑問にもなる。
朝の空気を吸い、大地を耕し、風と歌い、暗くなれば家に入り、火を起こして暖をとり、自然と床につく…そんな生活は現代社会にあるわけないのはわかっているが、あまりにも日や時間を意識し過ぎて生活が常に追われていやしないか?と疑問に思えてならない。
時計を作った人は人と人とが時間を共有できるように作っただろうに…結局 人は作ったものに支配されてしまっている。
時計を失うと(近代的生活から解放されると) 逆に人は朝起きて夜寝るという規則正しい生活を送るらしいが…。
人が幸せになるためのサービスをして お互いに支え合って社会は成立しているというのが建て前だけれど、
サービスすることで磨り減って 誰かにサービスするだけになってしまって 行為の意味を見失い 苦しむ人々が増えているのは確かだろう。サービスは、文言化したり形にしたり契約してはいけないものなんじゃないか、と思う。もちろんサービスされて当たり前みたいな感覚を持つ人間達も狂っているとさえ思う。
社会の底辺に近い環境と、上流社会に近い環境でサービスをしてみて思ったが どちらも大して変わらないし みんなどいつもこいつも結局のところ「たかが人間」なのである。
金をもっていようが、権力をもっていようが、知識をもっていようが だからなんなんだ?となるのである。
こんなことを書く私も少し磨り減っているのだろうか…。優しい感情、優しい時間を感じて生きられたらどれだけ幸せなんだろうか…。

今日ふとした瞬間に「大事なのは 常に謙虚に生きること、感謝を忘れないことだよ…」という教養過程の歴史の先生の言葉が思い出された。私はまだ大事な何かを見失わずにいられているだろうか。

夏のスケジュール帳を先日見て笑ってしまった、意識的にプライベートに関しては頭に記憶できる以上の用事は作らなかったし、意図して手帳を使わず、それ以上に関してはどうかしているとさえ思った。どちらにしろ用事をこなす事も難しい状態だったわけだが・・・。
「人が一生の中で移動する範囲は自転車で行ける距離」だった時代もあったという話もあるし、今現在という時代は移動手段が発達し、出会う景色、人が圧倒的に多過ぎるんじゃないだろうか。それは幸せなことであり不幸なことであろう…。意識して携帯を使わない、スケジュール帳を使わない、という選択肢や人生があること、そしてそこに意味がある事を頭の隅に置いておくべきだろう・・・。

Why So Serious?

タイトルはダークナイトサントラのトラックタイトルより。
以前もI'm Not A Heroを ダークナイトサントラのトラックタイトルより使ったが。
端的でありながらも なんて深いタイトルなんだか…。

私の頭は事の直前に至ってやっと覚醒するらしい。締切ギリギリにならないと筆が進まないのと同じようなこの現象、なんとかならないものか…。
今日の授業における発表内容は作業時間だけでいけば一時間で作り上げられた。人間の思考、精神、活動と 時間の関係ほど難しいものはない。
常に全力を発揮できればよいのだが、情熱的な行動力と 冷静な行動力によって物事は進められていくのだから バランス感覚というか舵取りが難しい。
思えば 大学院生活に関しても 入学当初に 主査する教授から「創作と研究のバランスをとるように」と言われたのをふと思い出す。

頭では分かっていても器用にはなりきれない自分が悔しくもあるが少し安心したりもする。
完璧なまでの冷静さや器用さは どこかで人間性を捨てている気がしてならない。
まあ 時間は守れるようにならないと人として一生の問題になる…なんとかしなくては。
また俺は自分を甘やかし過ぎているのだろうか…、しっかりした人達からは甘すぎると怒られるし 考え方もまだまだ幼稚なんだろう、頭を使わなくては…。
まあ 硬いだけの頭や精神では生きていけないし、大事なのは 少しの余裕と柔軟さとユーモアをもてるぐらいの感覚でもあるとは分かっているが。
意外と何事もなんとかなるものだし(笑)、なんとかするつもりで事にあたるのが当然である(笑)。

終わりゆく何気ない1日に…

『容疑者Xの献身』を読み始めた。
あえて東野圭吾は読まないはずだったのだが、映画を見たせいか つい読んでしまっている。自分の世界が静かに感じられて、限りなく冷静にさせられる。
映画を見に行った親友から、「登場人物の石神がお前とそっくりでびっくりした」と言われたからだろうか…言われる前に自分も見て少し思っていたし(苦笑)。まあ映画の堤真一みたいな見た目は持ち合わせていないし、小説の人物ほど僕は知的じゃないが…。まあ読んで自分なりに教訓を得るとともに、第三者の視点で見ることで学ぶほかあるまい。


なんというか いつの間にか多忙生活に戻ってきている自分がいることにふと気づいた。
まあ忙しいというよりは充実しているという表現が似つかわしいと思うが。こういう時だからこそ自己管理を怠らず、心身ともに健康な状態で維持しなくては…。