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「雨が降る前に」
つまり、雨が振る前に、それを予測し 船を作るという話・・・。まぁ、旧約聖書のノアの方舟をもじった話(本質を離れた話)なのですが・・・。
「大洪水になるほど雨が降るとわかっているのだから、地上にいると危ないようだし、安全にいられる船を作ろうじゃないか。」という話。
一般的な話にするなら、「予測をして、準備をしましょう。」という簡単な話。
私は、最近、この「雨が降る前に」という感覚がぬけ落ちていて、傘を持たずに歩いて失敗している気がする、もう少し冷静な判断力を磨くべきのような気がしてならない。
いや、判断力が欠けているのではなく、判断をしてはいるが、その判断が誤っているのだから、つまり、判断をすべきだとかそういう話じゃない。そういった 突如判断を迫られたときに、その場の事や、その場の相手の事だけを考えるのではなく、冷静に先やその場所以外に存在する事情や自分の状況を考え、後先までしっかりと考える余裕が必要なのだろう。つまり、冷静に判断するためには、冷静でいなくてはならないということ。。。感情に流されない、追い詰められた状況に惑わされない、とか 余裕がある時に そうすべきだと考えるのはとても簡単で、その状況になってみて、これを覚えていて冷静に行動する(発言する)のは とても難しいことですけれど・・・。
「自分のルール」
ルールは自ら作るものであり、自ら守りとおすものでなくてはならない、そして逆にそれは自らを守ってくれるものでもあり、自らが生きるために必要なものである。
最近、このルールを守れなくなっていたように思う。自分の感覚や感情を持つのは 人間らしく素晴らしい面もあるのだが、「一時の怒りや興奮」に流されて 「自分のルール」の外側に出てしまい 「自分のルール」を外れた発言や行動をするのは とても愚かなことだと改めて思わされている。
少なくとも1つだけ、「自分が後で後悔しない選択をする」これだけは守らなくてはならない。
たまに忘れて、「今 その一瞬の自分が全てだ」と思ってしまうが、時間は続くのであり、自分は一瞬のものではなく、また、今 自分が直面しているものは 一瞬のことであったり、一時的なものなのだと冷静に判断するべきなのだ。一時間後の自分、一ヶ月後の自分、一年後の自分、10年後の自分はどうだろうか、想像するべきでもあるし、想像しすぎてはいけないものでもある。なんせ、怒りに身を任せたり、沈んだ気持ちに身を任せたりしている間は、冷静に想像などできないのだから・・・難しいものです。