RYDEEN 79/07 未選択 2008年11月02日 冷静な自分が欲しくなって久々に聞いてます。音楽のいいところは 聞くときの気分によって違ってきこえたり、逆に よく聞いていた時の感覚を鮮明に蘇らせてくれることですね…。たぶん『RYDEEN 79/07』も曲がどうということではなく 僕にとって ある日を思い出す一曲ってだけです。YMOじゃなくて坂本龍一のプレイリストに入れていたから戦場のメリークリスマスが3バージョン延々と聞こえてきて…。久々に坂本龍一の音楽を聞いたけど 真夜中に静かな心境で聞くと 何か懐かしさみたいなものと 寂しさが同時にこみ上げてきます…孤独を感じて涙が出そうになったりして 少し自分が感傷的過ぎるのかもしれません。『新しいものを作り出さなきゃいけない』という考えにとらわれすぎて 人に聞かれない音楽を作るのと、ラヴェルやドビュッシーで立ち止まって大衆に好まれる音楽を書くのとどっちがいいんですかね…。オリンピックでは 毎回 新記録が作られていくけれど、大衆の足が速くなったわけじゃない。音楽だって 常に新しいものをと作曲では考えられているけれど 大衆の耳とは違う次元に行ってしまっているとしか思えなくて。西洋音楽は言葉を変えれば元はキリストのための音楽で、最近 世界の宗教戦争へ荷担するものでもある点が気になりはじめました。歴史を作ってきたのはキリストとイスラムの戦いの繰り返し…現代では世界に拡大しただけ。平和や神をうたっても、そこにあるのは他宗教を排斥し攻撃し戦争し支配し搾取する人間達。世界の国歌を見たって、国を讃える音楽なれど 軍歌だったり 過去の戦いの音楽が使われたりして色々と疑問です…そんな疑問は陳腐なのやもしれませんが。じゃあ自国の音楽はとか、東アジア独特の宗教や音楽はとか、考えがいくわけで…。シルクロードで色々な物が行き交った時代のように、伝わってきたものをどうとらえ どう使い どう進化(深化)させるのかが重要なのやもしれません。西洋音楽も各地で別物に深化しているわけで…結局 とらえ方次第なのですかね。私なりに深化させて作品書いてるわけですし。自身の作曲は第2バリエーションが終わって これから中間部。音楽(作品)はどこまでいっても音楽(作品)なのかもしれません…ある領域からは言葉には置き換わらない、換えられない。ただ作ったものには作者が反映される、と言うし、曲の中に僕がいるのは確かなのかな。 PR