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作曲家 綿引浩太郎のブログ

演奏会作品の作曲~映画音楽の作曲まで承ります。 最新情報は新しい公式サイト kwmusic.net をご覧ください。 スマホ・タブレットの方は、PC版サイトだとメニューが表示されます。

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映画の音楽(ミシェル・シオン)

「映画の音楽(ミシェル・シオン)」を読み始めた。
読み始めて早々に、私が追い求めてきた本題に近い重要な内容が山ほど書いてあって興奮が止まない。
さて その中で本題とはあまり関係の無い ある一文が目に焼き付いた。
「音楽は偽エスペラント語のようだが、問題は音楽というものが、エスペラント語のように誰にでも理解できると思われていることなのだ」という一文である。
「観客は音楽の真実についてなにか理解しているのだろうか?その表現を理解し、価値を判断し、良し悪しを区別できるのだろうか?」という一文。ありきたりな投げかけであり、当たり前な疑問でありながらも、考えてみるとなかなか興味深い。ましてや では真実は誰のものなのかと問い始めれば それは哲学の領域であろう…。
色々考えたいし書きたいのだが、時間がある際に改めて。

今回読んでいる本の内容が面白い点は、「純粋な音楽の世界で見た音楽」と「映画の音楽の世界で見た音楽」は別物なのであると改めて冷静に教えてくれることであり、
映画の世界では「音楽の世界で偉大な音楽と形容される音楽」も「凡庸で値打ちの無いとされた音楽」も並列的に扱われる点であり、その関係性が音楽世界の常識だけでは判断できない点である。
映画の世界では、「良い音楽だから良い映画とは限らないし、良い映画だから良い音楽とは限らない」という可能性も確かにあるのであるのだから…。
だが このクラッシックやジャズやロックやポピュラーなど、ジャンルにとらわれず全てを網羅した映画音楽というジャンルにこそ、現代の混沌とした音楽動向の今後の手がかりが隠れているのではないかと私は微かな希望を抱いているのである。
また その全容を把握することは無理なれど、歴史上(時間的)・世界中(地理的)に広がる数多の音楽を総合的に知るという目標に対し、映画音楽というものを知り 更に考える行為は 目標に近づく豊かな手段の一つだと 現時点の私は信じてやまないのである。
さて とにかく今月はこれの読破が研究関連の目標であり、二台もしくは連弾ピアノ曲を書くのが作曲関連の目標である。
まあ 目標掲げすぎて倒れるのもなんなので、「とにかくやれることを片っ端からやれる限りやってやるぜ」、ぐらいの気概で取り組む予定です(笑)。
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